巡礼へのご案内 |
【装束】 弘法大師の足跡をたどる遍路は、白衣に身をつつむことが基本です。巡拝の用品は、すべてを必ずそろえなければならないということはありませんが、石段や山道を歩くこともありますので、動きやすいものが良いでしょう。 密行会では服装は自由となっておりますが、最近の傾向として笈摺(おいずり)をはおられる方が多くなってきました。 |
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お遍路さんの必需品 |
菅 笠(すげがさ)
遍路の菅笠には「迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北」(迷うがゆえに三界は城なり、悟るがゆえに十方は空なり、本来東西なく、いずくんぞ南北あらん)と、笠のてっぺんから四方へと修行者の心構えが書かれています。さらに、弘法大師と常に一緒であるという意味の「同行二人」(どうぎょうににん)の文字も記されています。輪袈裟(わげさ)
袈裟の一種で巾約6cmの綾布を輪にし、首から胸にかけます。手洗いに入るときははずします。笈 摺(おいずり)
おいずるともいいます。昔の遍路は背中に笈やつづらを背負って歩いたため、背中を傷めたり、白衣をすり切らせたりしないように、袖なしの羽織の白衣をかさねて着たもので、現在も遍路の正装の必需品とされています。背中に「南無大師遍照金剛」と「同行二人」、さらに住所・氏名なども記します。遍路の経験者が臨終をむかえたときは、これを経帷子(きょうかたびら)として着せて死出の旅の安穏を祈るならわしもあります。金剛杖(こんごうづえ)
遍路が常に携える杖ですが、歩行を助ける目的だけのものではなく、「金剛」の名前が示すごとく、遍路の守り本尊であり弘法大師の分身であります。杖のあたまには五輪塔を模した刻みが入れてあり、梵字が書いてあります。遍路が行き倒れとなった場合、そのまま墓標として使われました。弘法大師が昔に巡錫中に宿を断られて橋の下で眠った故事をしのんで、橋の上では杖をつかないならわしになっています。宿に着けば、弘法大師の足を洗う気持ちで杖を清めるしきたりになっています。納 札(おさめふだ)
各お寺の本堂と大師堂の2ヶ所に納めます。納札の種類は、巡礼した回数により白札(1回)、青札(2回)、赤札(10回)、銀札(20回)、金札(50回)、錦札(100回以上)などに分けられているようです。掛 軸(かけじく)
ご朱印を押してもらう軸です。完成すれば大変美しいものですし、何といってもありがたいものです。家宝として代々受け継がれていくものとなります。納経帳(納経帳)
御朱印を押してもらうための帳面です。霊場では、読経のあと御朱印をいただきます。最後には、自分の住所氏名を書いておきます。尚、2周目・3周目と続けて御朱印をいただくときは、新たに納経帳をもとめるのではなく、重ね印をしてもらう風習になっています。頭陀袋(ずたぶくろ)
僧侶が修行の旅のとき、お布施や経本、食器を入れ首からかけた袋です。頭陀とは、煩悩や欲望を払い、仏道を求める修行のことです。
【四国へのアクセス】 四国に入るためには、鉄道では岡山からJR瀬戸大橋線を。車では徳島に通じる神戸淡路鳴門自動車道、香川に通じる瀬戸中央自動車道、そして愛媛に通じる、瀬戸内しまなみ海道があります。また四県にはそれぞれ飛行場がありますので空路も可能です。 【日数】 八十八ケ所を一周する全行程は約1440`あります。徒歩では健脚の人で40日ほど。ふつうで50日から60日かかります。巡拝バスでは11日から13日、車で7日から8日が目安です。 密行会では四国四県を一県ずつまわる“一国参り”を取り入れております。 【宿泊】 宿泊には宿坊、遍路宿、ホテル、旅館などがあります。宿坊を営んでいるお寺は20ヶ所余りあります。春から秋にかけてのシーズン意外は休みであったり、団体専用のところもありますのでカクニンが必要です。巡礼者どうしが交流できるのも宿坊や遍路宿ならではのことです。 密行会では、その都度利用する宿泊所を変えております。 【巡り方】 札所を巡礼することを“打つ”といいます。これはかつて、巡礼者が納札のため木札をお寺に打ちつけたことによります。四国八十八ケ所巡りは一番から八十八番札所を順番にまわる“順打ち”と、八十八番から逆にまわる“逆打ち”があります。また、ある区間で区切ってまわる“区切り打ち”、四国四県を一県ずつまわる“一国参り”があります。 |